武将家紋傘[斎藤道三 二頭立波 黒色]

下克上の代名詞であり、美濃の国盗りを果たした斎藤道三。武勇のみならず文化にも通じ、さらには為政者としても先見性の高い取り組みを行ったことは、今に続く岐阜の文化からも想像できます。経済政策として注力した長良川の水運管理は木材や和紙の流通を安定させ、江戸時代からの岐阜提灯・岐阜和傘という産業の隆盛を後支えしました。
道三の築いた歴史と岐阜の文化がしみ込んだ蛇の目傘で戦国時代を垣間見てみませんか?

【仕様】
◆傘の長さ 約60cm
◆直径 約106cm
◆全長(持ち手を含む) 約74cm
◆骨数 44本

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中世にルーツを持ち、江戸時代から続く和傘の産地、岐阜市加納

岐阜駅の南に位置するこの地区は中世、美濃国守護・ 土岐氏が居城を構え、城下町が形成され、一時は足利将軍も滞在するなど、美濃の政治の中心地でした。

近年の研究で明らかになってきた"親子二代での国盗り"説によれば、斎藤道三の父・長井新左衛門之尉の国盗りは、この地から始まったと言えるでしょう。

時は下り江戸時代には、中山道53番目の宿場で交通の要所として栄えてきました。和傘が加納の地場産業として発展したのは宝暦年代(1760年代頃)以後のこと。加納藩の武士が傘の骨削りや轆轤(ろくろ)作りなどの工程を行い、内職として生計を立てていたといいます。

和傘の材料となる良質な竹が長良川を始めとする木曽三川流域には豊富にあり、美濃和紙、柿渋、えごま油が入手しやすかったことが、地場産業までに成長した要因だったようです。

明治以降、和傘は発展の一途をたどり、最盛期には月100万本を超える生産量でした。海外への輸出も盛んで、シドニー万博にも出品され好評を博したほどです。かつては加納のあちこちで和傘を干す光景が広がり、まるで花のようだったと言われるほどでした。

しかしその後、洋風の生活様式が日本へ入ってくると和傘の生産量は激減します。現在ではごく一部の職人の手で、年間2万本を生産するのみとなりました。

かつては600軒あった傘屋も現在では3軒となり、岐阜は日本国内の和傘の生産9割を担う地でありながら、その伝統技術の継承は危機的状況にあります。


熟練した職人の手で仕上げられる和傘

和傘は「から傘(唐傘)」と呼ばれることがあります。唐傘は中国の傘の意でなく、開け閉めが自由にできる「カラクリ細工の傘」の略称だとも言われます。

それほど和傘の構造は複雑で、昔の人々が「カラクリ」と思ったのも不思議ではありません。

和傘は十数人の熟練職人の手により数カ月をかけて製品に仕上げられます。傘の骨を、1本の竹を数十本に削り出す「骨師」、開閉されても破れず、シワにならないように紙を張る「張り師」、紙に絶妙な量の油を塗り雨漏りを防ぎ、骨の上に漆を引く「仕上げ師」など、各行程に専門の職人がいるほどです。

和傘をつくる行程は数ある工芸品の中でも複雑を極め、大工程に分けても9つ、中工程では50以上、全工程では100を越えます。皮肉なことですが、余りにも複雑な工程があるために1本の傘を1人で作り上げるのは至難のわざで、後継者育成の妨げともなっています。


大河ドラマ"麒麟がくる"を契機に 武将と和傘のコラボレーション

2020年NHK大河ドラマ"麒麟がくる"は、明智光秀に至る美濃国守護・土岐氏と下克上勢力である斎藤道三、織田信長など歴史上のヒーローたちがこの岐阜を舞台に絡み合う、歴史群像劇になるとのこと。今から楽しみで仕方がありません。

まずは一本、斎藤道三が礎を築いた岐阜の歴史と文化がしみ込んだ蛇の目傘を持ってみませんか?